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九州百名山を歩き続けた記録と向き合う時間
九州の山々をひとつずつ歩き、風や光、土の匂いを感じながら刻んできた年月は、振り返れば自分の生き方そのものに重なっているように思える。九州百名山という大きなテーマに挑む旅は、最初から明確な目標として掲げたわけではなかった。ただ、休日にふと近くの山へ出かけ、その魅力に触れ、気がつけば地図に印が増えていく。その積み重ねが、最終的には百という数字に向かう流れを作っていった。今回掲載した一覧表は、2005年から2006年にかけて歩いた山々を中心にまとめたものだが、そこには単なる記録以上の想いが詰まっている。日付の横に並ぶ山名は、すべてその日の空気と共に鮮明によみがえる。登頂時の達成感もあれば、途中で引き返す判断を迫られた日もある。それぞれの山がひとつの物語になっており、それが百に近づくにつれ、より強い実感と充実感を生み出していった。
季節ごとに変わる登山の表情
九州の山は季節によって表情が大きく変わる。春は柔らかな芽吹きが登山道を明るく彩り、夏は濃い緑が体力を試してくる。秋になると紅葉の赤と黄金色が視界を満たし、冬には場所によっては薄い雪に覆われ、静寂の中を歩く時間が生まれる。表の中で特に印象深いのは、2005年の後半から2006年にかけて集中した山行だ。例えば、霧島連山に通った時期は、天候の変化を肌で感じながら、同じ山でも日ごとに雰囲気が変わることを痛感した。また、祖母山系に向かった時には、高度が上がるにつれて風の冷たさが増し、季節の移ろいを一歩ずつ感じられる貴重な時間になった。山に登ることは、季節を「見る」だけでなく「身体で感じる」体験の連続だと改めて思わせてくれる。

県ごとに異なる山の魅力と個性
九州百名山は九州全域に広がっており、それぞれの県に特徴的な山が存在する。大分県は火山地帯が多く、くじゅうや由布岳のような伸びやかな稜線が楽しめる。熊本県には阿蘇をはじめ雄大な火口原が広がり、地形そのものが壮観だ。鹿児島県は活火山を抱え、硫黄の匂いが漂う山域もあれば、屋久島のように深い森を抜けるルートもある。宮崎県の山は静かで、渓谷に沿って歩く穏やかさと急登の厳しさの両方がある。佐賀県や長崎県の山は標高は高くないものの、海を近くに感じられる心地よい稜線歩きが魅力的だ。こうした個性の違いこそが、百名山を巡る旅を飽きさせない理由であり、地形や歴史を知るきっかけにもなる。表に記された各県名を見るだけで、その山域の空気が思い出され、改めて九州という地域の多様性に気づかされる。

山行記録が与えてくれる気づき
記録を残すことの価値は、単に「どの山に登ったか」を忘れないためではない。それ以上に、自分の歩み方や考え方の変化を可視化できる点にある。例えば、最初の頃は標高やコースタイムばかり気にしていたが、記録を重ねるうちに、山で出会った人との会話、頂上で飲んだコーヒー、歩くリズムの心地よさといった数値化できない要素の方が心に残るようになった。また、体力の変化にも敏感になり、無理をしない歩き方を意識するようになった。天候判断の重要性にも気づき、時には中止や撤退を選ぶ勇気を持つようになった。こうした判断基準の成長は、記録を遡ることでより鮮明に理解できる。つまり、山行記録とは過去の自分からのメッセージであり、未来の自分がより安全で豊かな登山を楽しむための指針にもなるのだ。

百名山達成に向けて必要だった心構え
九州百名山という大きな目標を達成するには、単純な体力だけではなく、継続する意思が不可欠だ。特に、仕事や家庭の合間に登山時間を確保するのは簡単ではなかった。日程調整が難しい時期には、近場の低山で心と身体を整え、徐々に気持ちを高めていった。さらに、山ごとに必要な装備や準備が異なり、経験を積むごとに荷物の取捨選択にも工夫が生まれた。もちろん、気持ちが折れそうになることもあったが、一覧表にチェックが増えていくのを見ると、また次の山へ向かう力が湧いてきた。達成そのものよりも、そこへ至る過程の方が人を成長させるのだと実感した瞬間だった。

歩いてきた道が教えてくれたもの
百の山を巡る旅は、景色を求めるだけでなく、自分自身と向き合う時間でもあった。山頂に着いた瞬間の達成感はもちろん、歩く時間そのものが考えごとを整理してくれる。時には、下山後に温泉に浸かりながら、山中で感じたことを振り返る贅沢な時間もあった。こうした経験は、日常生活に戻った後でも心の支えとなり、落ち着いてさまざまな判断ができるようにしてくれた。登山は体力を使う活動ではあるが、それ以上に心を整える営みだと強く感じるようになった。
これからの山旅への想い
一覧表を久しぶりに手に取り、ひとつひとつの山行を思い出してみると、現在の自分にとって何が大切なのかを改めて考えるきっかけになった。百名山をすべて歩いたからといって旅が終わるわけではない。むしろ、そこから新しい山の楽しみ方が広がっていく。季節を変えて再訪する山もあれば、まだ歩いていないルートを試してみたい山もある。標高の高低に関わらず、それぞれの山が違った表情を見せてくれるのだから、旅に終わりはないのだろう。今後も山行記録を続け、心のアルバムを増やしていきたいと思う。記録があることで、過去の旅と未来の旅が自然につながり、自分の人生の軸をより太くしてくれるはずだ。

